2月から通っている先生から「唇は常に息に対して受け身である」と何度も念押しされているのに、どうしても自分の意思と関係なく震えるアパチュアに気をとられてしまいがち。
ここまで不調が板についてしまうと、前はどうだったか、もはや不明。としか言えない。
少なくともシラブルで音程を変えてはい なかったと思うので、この際、前吹けてた(と思うのに)とかそういうのは早く忘れろと言い聞かせる(悔しいけど)。
このGWでしばしホルンから離れてみて考えたのは、
放っておくと震えるアパチュアに意識が行ってしまうんだから、
ちょっと集中して意識の矛先を変えてやんないとだめかもなぁ・・・と思ったわけです。
アパチュア、アンブシュアにも まだまだ問題があるかもしれないけど、それは最後の微調整と思って、一昨日から、身体に取り入れた空気と口腔内の空気の圧力を感じることに専念 してみる。
音が出る瞬間(ホースの先)ではなく音の元となる空気の流れの方に意識をもっていくことでアパ チュアから意識をそらしてやろうというわけです。
痛い注射の時は他のところをつねっておきなさい、みたいな。
やっぱり痛いんだけど。
もはや自分を騙す作戦まで持ち出して、後がないですね。
崖っぷちですわね。
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出口(アパチュア)が悪いと、水の出は確かに悪いだろう
蛇口(シラブル)も確かに要整備
だけど、源流(息)と、水量と、水質、運ぶパイプラインとそれを支えるだけの圧力が確保されていなければ蛇口をいくらひねってもおいしい水は出ないだろう。
書きながらふと思い出した。
2年くらい前だったかな、ヴラトコヴィチ の演奏を聴いたとき、うまく言えないけど、「この人、身体全部が楽器だ!」って思ったんだった。
私は奏者の情報に疎いので、演奏を聴くその日まで全然知らなかったんだけど、一瞬にして惹きつけられて、その後数少ないCDを取り寄せたんだった。彼の音源って、モーツァルトとリヒャルトと、あとブラームスのトリオ、それともう一つくらいしかない。
だけどCDと私の家のちゃっちいスピーカーではあの音圧は体感できないんだけどね。
足先から空気の塊が身体を共鳴体にしてすべて音になる。
出た音の塊ごと客席まで届くような感じで、ホルンがやけに小さくって「おまけ」、みたいに見えたんだった。
どうしたらあんな響きが出せるんだろうって思ったんだけど、あまりに自分の響きからは遠すぎて現実味がなくて、ヴラトコヴィチみたいな音に憧れていながら、これといった取り組みもしないまま今日に至ってる。
あれを思い出してみると、音が出る瞬間よりその手前で9割が決まってるんじゃないかと思うんだよなぁ・・・。
のの会だっ てバランスクッションだって(笑)そういう身体内の感覚を研ぎ澄ますのにきっと役立つはず。
ヴラトコヴィチのあれ、は出せないけど、
私なりに身体ごと全部楽器!を研究してみようと思う。