2011/05/22

アンサンブルと鉄子の関係

札幌のホルンの師匠は、ものすごく感覚主義の鉄子のそれを、良くも悪くもそのまま放置してくれていた〔笑)



けれど、30過ぎるとなんかそればかりじゃ浅はかな気がしてきた(遅っ!)

だけどやっぱり追いつけていない自分が居た。

すぐ熱くなっちゃうけれど、そうじゃなくて、音に核をもたせたい。決して華やかではなくても魂がある、温かい音が出したい。


もちろん技術的な向上もなければ話にならないんだけど、海にもぐって水中でじっとしている感じ。


自分の鼓動はと、体温は確かに感じられるけれど、魂だけがそこに存在するみたいな音、
魂に響くような音、音量とかダイナミクスとかそういうことじゃなくて、魂が共鳴するような音を一瞬でもいいから出してみたいって思う。





オーボエの友達が、去年鉄子がティルを吹いていたとき、鉄子はゲンキ玉出てたと言っていたけれど(笑)、気合だけじゃなくて、奏でられる音には赤、緑、黄色、青、紫、橙、の光の色彩感があって、それでいて奏者は透明になれたらいいなぁ・・・





鉄子はいつも、表現したい音楽に技術が追いつかなくて、音楽が拡散してしまったり、
つい小手先のつじつま合わせに頼ってしまったり。



だから今やっているアンサンブルも、力技じゃなくて〔笑)、心に響く音ってどんな音なのか、
なんかそんなことと向き合おうとしてる。






音楽って不思議だなぁ・・・・



鉄子はやっぱり鉄子の音、音楽になってしまう。




20代の頃はアンテナの立て方もよくわかっていなかった私。


ようやくいろんな人の音楽とか感性に耳を傾けてみたり、対話してみたり、
自分に持っていない音楽に惹かれたり、吸収して音楽を深めてみたり。


ようやくそんな風に音楽と向き合えるようになってきた自分がいて、全然自分とは違う感性にものすごく惹かれたりとか、今更そんなことを認識するなんて鉄子らしいんだけど、今はそういう(自分の変化を含めて)、いろんな人の表現する音楽に興味津々で、面白い。




だから、ホルンの神様からアンサンブル、やってもよろしい、
って遅ればせながら許可がおりたんだわっ(笑)



やっぱり、音楽は神様からの贈り物だと思う。