2011/03/02

師匠との対話で

楽器と音符に魂をこめよう、と改めて思ったのだった。


月曜日のレッスンで、
「チューナーみて吹いたりしてない? 楽器のツボと違うよね」

と言われてギクリ(苦笑)


今回は練習を重ねれば重ねるほど木管との音程が合わないのが気になって、
この2週間で抜き差し管をいじったりとか、おっしゃるとおり楽器のツボとは違うところで吹いていた私。

右手でも変えられるんだけど、ちょっと追いつかなくて抜き差し管をいじったりしてた。


だけど、向き合うのは音程だけじゃない。

ブラームスの音楽と、そして私の相棒と向き合って、最高の時間を楽しまなくては。



私がブラームスが好きなのは生命感があるからだ。
ホルンがいい、ってもの確かにあるけど、大好きな自然の情景が思い浮かぶからだ。


春にいっせいに木々が芽吹く感じ、
冬眠から醒めた動物が「眠いよー」と言っているのをひやかす他の動物たちのかけあいとか、
夜の湖面、そこに吹く風や、きらっと光って消える星の光とか。

そうかと思えばあらがいようのない自然の圧倒的な力とか。


私はまだヨーロッパの自然を肌で、この目で感じたことはないけれど、
でもきっとそんな世界を思い描いていたんじゃないかと思わずにはいられないのだ。



生命を吹き込もう。一つとして無駄のない音符達、
静かに、でも確実に鼓動を持って音として魂が吹き込まれる瞬間を待っている、
音になった瞬間に嬉々として、ぶわーっと自然界が広がる、ブラームスの音楽ってそんな感じだ。



生命を、魂を、と思ったのは実はレッスン中ではなくて、レッスン後の飲みの最中だ(笑)



私がホルンの神様は居ると思う、見てると思う、といっていたら(笑)、
先生が、楽器も神様が創ったものだと思うんだよね、と言っていた。

この世に楽器というものが、100年、200年経ってもその原型から大きく姿を変えずに今の世にある、
今でもストラディバリウスがすばらしい楽器だと支持されて世界中で弾かれている、
なんて楽器はやっぱり人間の力だけで作ったとは思えないんだよね。

楽器は生きてる。だから、私達が魂をこめないといけないんだよな。



なんかそんな会話をしていて、私の中で何かたピンっと弾けた気がしたのだ。






そして、「先生、私は相棒とブラ4と向き合って、今週末いい演奏会にしますよ(笑)」


と宣言した。



演奏会直前で、今レッスンして自信なくしやしないだろうかとか、思って不安だったけれど、
やっぱり受けてよかった。

先生はそんなの百も承知でそういうレッスンをしてくれたと思うけど。


私の相棒、先生が吹いたら相棒のツボがちょっと変わって外しそうだけど(笑)、
もっとお前と真摯に向き合って吹いてやらにゃいけなかったのに。ごめんよ。


でも気付いて良かった。

あやうくせっかくのブラ4を自分の調子と、音程とだけと向き合って演奏してしまうところだった。



ブラームスの音楽に魂を。 やるぜ、相棒(笑)