鉄子が生まれてから10年住んでた場所に行ってみた。
で、訪問したのは、通っていた小学校デス。
横浜市立日下小学校。
入学した当初は歩道橋はなくて、横断歩道だったので、小学校は家から3分でした。
歩道橋ができたので、家から4分になった〔笑)
今でこそ朝型の鉄子ですが、当時はギリギリのギリまで寝ていてよく叱られてました。
たしか、7時すぎに出る父親に「いってらっしゃい」の見送りできなかったんだから、そのくらいの朝寝坊さん。
歩道橋ができたので、家から4分になった〔笑)
今でこそ朝型の鉄子ですが、当時はギリギリのギリまで寝ていてよく叱られてました。
たしか、7時すぎに出る父親に「いってらっしゃい」の見送りできなかったんだから、そのくらいの朝寝坊さん。
そして、朝ごはんの食パンが苦手で〔笑)
特に食パンの耳が。飲みこめなくて辛かったなー。
味もなんかあの独特の酸っぱさみたいなのが苦手で。
必死に耳から食べてましたねー。
で、キタナイ、ってよく叱られてた。
耳が普通に食べられるようになったのって、結構後になってからのことかも・・・・(苦笑)
夏休みとかにおばあちゃん家に行くとご飯で、それが嬉しかったっけなー。
そして、おかずと味噌汁があることが〔笑)
今は、おいしいパン屋さんもあるから、パンも嫌いじゃないけれど、
でもやっぱりおいしいご飯が落ち着くかなー。
で、ここが、登校班の集合場所の交番。
家から徒歩1分。
徒歩3分なのに、集団登校するために決まった時間に出なければいけなくて、
(と言っても8:10くらいだったと記憶している)
「一人であとから行けるのに・・・・」
とか思ってましたね〔笑)
なんであんなに朝が苦手だったのか・・・・
でも休日はものすごく早く目が覚めて、父親を「遊んで」とたたき起こし、迷惑な娘だったなーー〔笑)(それって今と変わらないってこと?)
小学校近隣でカメラを構えるってのは、なかなか怪しい行為です。
そして、鉄子にとってこの小学校といえば
トトロに出てくるくらいの
おっきなくすの木!
&
くすの木に届く登り棒
が強烈に記憶に残っていたのですが、
確かに、くすの木には届いている登り棒。
でも、
とっても普通サイズの
くすの木。
というより、わりとコンパクトでは(笑)???
鉄子の記憶では、ビビッドな黄色と青の2色塗装でピカピカだった登り棒。
塗り替えたんでしょうね。
そして、ものすごくコンパクトな校庭。
今「こうてい」って入力して変換したら、
「工程」って真っ先に出てきちゃって、一瞬ひいた鉄子です〔苦笑)
第二グラウンドが歩いて10分くらいのところにあって、体育とか運動会はそっちでやっていましたが、鉄子が休み時間に走り回ってた校庭はこんなに小さかったのかーーー。
はないちもんめ、ドロケイ、缶けりとかいろいろやったなー。鉄子はドロケイが好きだった。
給食食べてすぐに飛び出して走り回ることが出来たってのが、今思えば脅威的です〔笑)
放課後はよく第二グラウンドの方で遊んだなー。
あとその近隣の坂道で、ローラースケートとか、自転車とか。
そして、鉄子が3Fのベランダからの脱走につかった大縄も〔もちろん遊ぶときは大縄跳び用としてです(笑))。
スケボーだけは進ませ方が良く分からなかったんですが、一輪車とか竹馬とか、一通りなんでもやったなぁ。
(転校先では一輪車クラブ入ってた〔笑))
このキタナイ第三校舎、鉄子がいる頃にピカピカに塗り替えられてたんですが、時間の経過を感じさせます・・・・(苦笑)
ここには図書室があって、あれだけ外で遊んでいたのに、一体どういう時間の使い方をしていたのか今でも不思議ですが、鉄子は小学生の頃にもっとも読書してたと思われます(笑)
人物伝が好きだったような気がする。
モーツァルト(今は悩みの種ですが〔笑))、ヘレンケラー、キュリー婦人とか。
あとは人物伝じゃないけどファーブル昆虫記でファーブルがセミの幼虫を必死に集めて食べる、というくだりがどうしても忘れられない(キモいって〔笑))
植物図鑑の薬草になる植物のところとか〔笑)
ユキノシタ、イワタバコを見てみたい!!! って夢見ていた変な子供だった。
(ちなみに、小学生のときに買ってもらった旺文社のコンパクト植物図鑑を未だに持っている鉄子)
そういえば、妹が転んだときに、ヨモギを揉んで擦り込もうとした鉄子に、妹①はかなり引いたらしい。
もっとも引いたのは、スイバ という植物の茎を、
「これ食べられるよ。酸っぱくておいしい」と渡したとき、らしい〔未だに言われる〔笑))
「とんちゃん、マジ野生児だったもん。私、ついていけなかったもん。」
て言われる〔笑)
そういえば、小学校1年生くらいのとき、鉄子が書いた作文の一部を新聞の休日版か何かに先生が投稿して掲載されたことがありました。
たしか「私のお母さん」とかってタイトルで、でも多分・・・・全文じゃなくて抜粋で、
「お母さんは怒ると鬼のようでカミナリが落ちます」
とか、
「近所に迷惑なくらい」
というような内容のところだけが載ってしまったんですね。
(もちろん、そこが一番オモロイからですが)。
先生は嬉々として母親のところに娘さんの作文が載りましたよ!
是非配ってください、みたいな調子でとその新聞を10部くらい持ってきたんですが、
そのあとの鉄子の顛末は・・・・・まぁ、ご想像にお任せしますよ。
先生、鉄子はこっそり先生にだけ告白したつもりだったんだけどな〔笑)
(でも、母親はその新聞をとってあったと思います。さすがに配りはしなかったと思うけどw)
いやー、鉄子が毎日泥だらけで帰ってくるような子供だったから、母ちゃんは大変だったんでしょうねぇ・・・でも男の子のように育てようとしてたのは母だと思うけど〔笑)
鉄子は家に入れてもらえないことが良くあったんですが(社宅では有名だった〔笑))、20年近く経って、妹が母に聞いてみたら、
「あんまりきたないから、生まれたばかりの妹①とか、妹②にばい菌がつくんじゃないかと怖くて」
という理由だったらしいです・・・
なので、妹達のご飯とかお風呂とかひと段落して就寝させるまで入れられなかったらしい。
ばい菌呼ばわりされるほどの汚れっぷり〔笑)
鉄子の洋服はひとっつも妹のおさがりになることはありませんでした。
3種類くらいしかない服を着まわしていたというのもあると思うけれど、夏休みの写真とかみると、いつもおなじ服、そして短パン〔笑)
この点だけは、妹①に感謝されましたねー。
お下がりじゃなくて良かった。と〔笑)
スカートは、小6の修学旅行のときに国会議事堂に入るのでスカートを。という指定があって初めてちゃんと買ってもらえた気がします。
なので、最近の小学生はとってもおしゃれだなーーーって思います。
今の鉄子よりおしゃれだよね。
鉄子がいっつも学校帰りに張り付いて覗いていた柴犬専門店。
コロコロの柴犬の子供がいて、かわいかったー。
鉄子は柴犬を飼って「カイ」という名前をつけるのが夢です〔笑)