仲間とサポーターに支えられた演奏会でした。
このオケでなかったら、多分私は復活できなかった。
1ヶ月前の自分を思ったらここまで来れるなんて想像も出来なくて、ステージにあがった時からここに居ると思うだけで涙ぐみそうだった。
2楽章のソロは100点満点ではないけれど、いろんな人からよかったと言われて今の自分の一番の演奏ができたと思った。
演奏会が終わって、私のホルンの演奏を初めて聞きにきてくれた母親から「よかったよ、いい音してたよ」といわれた瞬間、そんなつもりはなかったのに力が抜けて涙が溢れた。
不安でしようがなかった1ヶ月半、私が不調でホルン吹けなくなっていることも妹から聞いて知っていた母親が「聴きに来てよかったよ」と言ってくれる演奏ができてほっとした。
演奏会前1ヶ月前で復活せず、クビといわれて当然な状況でも辛抱強く待ってくれた先輩がいて、
隣には絶対大丈夫、と支えてくれる友達がいて、1アシには大学の後輩、木管、弦も絶対大丈夫、
絶対についていくから、と言ってくれる強力な仲間がいなかったら、私は毎日ホルンケースを開けて向かい合うことはできなかったと思う。
忘れもしない1月9日、よりによってチャイ5とティルを控えたこんなタイミングで吹けなくするなんて、ホルンの神様はなんて残酷なんだと思った。
けれど、もう一度一緒に吹きたいんだと思う、その仲間と舞台がなかったら、「今」でなかったら二度と復活できなかった、
と今は本当にそう思う。
都合いいのかもしれないけれど、私はなんて強運なんだと思わずには居られないくらいの環境におかれていることに気づかされて、そして気づけて本当によかった。
私は本当に、ホルン吹きとして幸せ者だな、と思った。
2010年3月7日、今日この日を忘れまい。