2010/04/11

悪いことには必ず意味がある

って記事が日経にあったので、メモ代わり。
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ぶっちゃけ、今ホルンものすごくやめたい。

全然楽しくないし、良くなる兆候もこの1ヶ月つかめていないし。
ちょっと時間が経つだけで逆戻りしてほんっとにイライラする。


練習に行かないと不安だからって理由だけで毎日ホルンを車に積み込むけど、仕事が遅くなって練習いけない日の方が嬉しかったりする。

練習始めては凹みの繰り返しで、はっきり言ってただの趣味なのに、一体なんのために、こんなに時間費やして、辛い思いしてんのさ、と思うけど、乗り越えた先に何かあるかもしれないから、と思うし、無くなった自分が想像できないから。

こないだのチャイ5とか、はっきり言って録音聞いたって、満足いくような出来じゃないし、がっかりするだ けだろうから1度も聞いてないけど、でもあの時はホント一番苦しいところを超えるのに、いろんな人に恵まれててホントにラッキーで、そういう人に囲まれて音楽できてるって事を実感できた、ってことが大きかった。それは貴重なことで、大事にしなきゃいけないことで、感謝しないといけない。

だけどやっぱりホルンは根本的に良くなってない。

このテンション低い状態でイライラしながら練習するくらいなら、いっそ1ヶ月くらい吹くのやめちゃったほうがいいんじゃ、と毎日のように思うけど。
やめた1ヵ月後は今よりいい状態でスタートできるはずがないから、仕方なく吹きに行くだけ。
私は拷問の辛さを知らないけど、精神的にはそんな感じ。

乗り越えた先があるかもわからないし、オケの練習にもまた行けなくなっちゃったし、こんな日記を書いてるのもイライラするから、今日はもうヤメ。

毎日練習に行くのって、ただの強迫症なんじゃとすら思う。


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悪いことには必ず意味がある 高橋大輔
「吹っ切れた」完璧主義者 (日経新聞)

バンクーバー五輪フィギュアスケート男子銅メダル、2010年世界選手権金メダル。いずれも日本男子フィギュア史上初の快挙を成し遂げた高橋大輔(24、関大大学院)のスケート人生は山あり谷ありだった。「悪いことが起きたとき、それには必ず何か意味があると思っている」。そうして必ず一つ高いところに戻ってきた。

08年12月。五輪のプレシーズンを棒に振る原因となった右ヒザじん帯断裂の手術を終えた高橋は、拍子抜けするほど元気だった。「あとはね、リハビリして、春に氷に戻って、バンクーバーには間に合うって」。のんびりと話していた。そのリハビリは1日9時間に及ぶ過酷さで、一時は逃げ出してしまったほどだったのだが……。

「ケガして良かった。でなきゃ、メダルはとれなかった」。最近、高橋はよくこう言うが、08年10月にケガした直後から「良かった」と思っていたフシがある。「ケガする前は最悪だった。何もかもがしっくりこなくて。4回転ジャンプの練習は必要だなと思っていたけれど、後は何をしていいか全く見えなかった」。気力の欠如を理由に、日本のエースが試合を欠場するわけにもいかない。ケガのおかげで一息つけた。

しっくりこない原因は分かっていた。優勝候補の筆頭に挙げられながら、08年世界選手権は調整に失敗して4位。情けなさと悔しさが入り交じっていたところに、バンクーバーまで一緒のつもりだったコーチのニコライ・モロゾフが、後輩の織田信成(関大)も指導するというニュースが飛び込んできた。「自分を一番に見てほしい性格」の高橋は出ていった。ショックは大きかったけれど、時間が解決してくれた。ケガはその時間もくれた。

モロゾフと離れた後、中学2年のときから指導を受けてきたコーチの長光歌子を中心にトレーナー、技術審判ら日本人スタッフと練習する道を選んだ。外国人はイタリア人振付師一人だけ。モロゾフ中心の体制から、合議のうえ最終決断は高橋が下す“チーム大輔”へ。実は、長光は外国人コーチを何人も推薦してきたが、高橋はすべてはねつけていた。欧米人コーチについた方が国際舞台ではいい、といった風潮がまだ強いなか、思い切った選択だ。

「国際交流は難しい。強さ、自信とか、外国人のセンスは必要だけれど、根本的に文化や考え方が違う。同じ国民の方が分かり合いやすいと思った」。カナダ、米国、ロシアと渡り歩いた高橋は言う。しかし日本人同士でも最初からあうんの呼吸にはならない。「ケガしたから、まず体を戻すしかなくなった。やるべきことが明確になった」。チームが結束する状況が整った。

「運がいいのかな。うまく回っていく」。信じたコーチに裏切られ、追い打ちをかけるようにケガをしても、それを前向きにできるのは、それ以前から経てきた道のりのおかげだろう。「底の時期は必ず、何かを学ぶきっかけになっていた。本当に、悪いことの次にはいいことが来た」

高橋は02年、日本男子で初めて世界ジュニアを制した。しかし、男子は女子以上にシニアとジュニアの差がある。ましてフィギュアはアピールしてこその競技。「大輔はできるよって、いくら言ってもダメ。信じられないほど自信がなかった」と長光。シニアに移行すると、2ケタ順位が続いた。

国際舞台で気後れせず、自信をつけるには外国人に習った方がいい。高橋は海外での練習時間を増やしていった。やっと4回転ジャンプが2回入り、国際大会でも表彰台に乗るようになりかけた05年の世界選手権。エース本田武史が欠場し、高橋の順位しだいでトリノ五輪の日本人出場枠が決まることになった。結局、前年より4つ順位を落として15位。1枠しかとれなかった。冷たい視線が突き刺さった。

当時、バンクーバー五輪で浅田真央のコーチを務めたタチアナ・タラソワに振り付けを依頼していたが、実績のない高橋にはちゃんと時間を割いてくれない。「変化が必要だ」。ピンと来たのがモロゾフの振り付け。コーチとしては無名だったモロゾフに、コーチ兼振付師を依頼した。

おまえ、自己評価が低過ぎる」。強い個性を持つモロゾフに手厳しくやられるのは新鮮だった。今でも「自信をつけてくれたことには感謝している」。モロゾフと組んだ1年目のトリノ五輪シーズンは、初めてグランプリファイナルの表彰台に上り、五輪でもショートプログラム(SP)5位で、主要国際大会で初めて上位6人の最終組に残った。しかし、フリーの抽選でとりわけ緊張する最終滑走を引き当ててしまう。

引いた瞬間に「我を失った」というフリーはガタガタに崩れて9位。総合8位に順位を落とした。自分を鼓舞するためとはいえ「メダルをとる」と言っていたから、情けなかった。

しかし、これが翌07年の世界選手権で生きる。緊張でSP3位だったが、フリー1位で宣言通りのメダル獲得、日本男子初の銀だった。

「ベタなドラマみたいでしょ」と長光が笑う。喜怒哀楽が激しい高橋だから、落ち込むとはた目にもいたたまれないほど、ションボリしてしまう。大会終了後恒例のバンケット(宴会)で狂ったように踊っていたこともある。そして、それらが次への布石になる。

「やっぱり運がいいんですかね」と高橋。そのまま沈む選手も少なくない。運の一言で片付けられても……。「アップダウンを繰り返すうちに、『なるようにしかならない』って、吹っ切れるようになったから」。それだけで岐路の選択がうまくいくのだろうか? 「うーん、直感で選ぶんだけど。あっ、小さいころから、周囲をよく見ろ、気を使いなさいって言われて、ずっとそうしてきたからだと思う」

周りをよく見る。気を使う。アスリートにとっては致命的になりかねない性格だ。長光は高橋を指導し始めて間もない、中学3年の全日本選手権の練習のことを笑って話す。

ほかの選手がトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を決めると、拍手していたというのだ。「自分も試合前なのに、嫌になるでしょ。優しくて繊細で、用心深くてマイナス思考。しかも完璧(かんぺき)主義者。歯がゆかった」。そんな子が周りを見たら、他人の一挙手一投足にびびったり、落ち込んだりしてしまう。この性格が試合に影響していたことは、高橋も認める。

だんだん(そういう)自分を分かってくるし、トリノ五輪以降くらいからかな、競技とそれ以外を切り替えられるようになった」。試合中は自分にだけ集中する。演技がガタガタに崩れることはなくなった。「ケガしてからはずうずうしくなった」。練習でも他人に遠慮せず、好きなように自分の曲を流し、スペースを確保する。余計なストレスがたまらなくなった。

一方、相変わらず繊細で、体の違和感、曲のイメージ、相手の気持ちまで、いろんなことを過敏なほど察知している。そのなかで、なんか変と感じるものは自然と避け、しっくりくるものが分かってくるという。その判断にほぼ間違いはない。

「あとね、いろんな人が注意してくれる。感謝の気持ちを口にするタイプじゃないのに、何でかな? 僕のこと思ってくれる人がいる。ま、言われるとすっごく腹立ちますけどね」。怒った高橋は、触らぬ神にたたりなし、だ。そんな高橋に誰よりもがっかりしているのは本人であり、忠告はあとでちゃんと受け入れる。ツンケンしていたと思ったら、すぐに「ねえねえ…」と人なつこく話しかける。そうした「かわいげ」は人徳だろう。

今年は年男で24歳。フィギュア界ではもう年長の部類だ。先のことはほとんど考えなかった高橋も、最近、将来の話をするようになった。「スケートアカデミー、学校みたいなのを作りたい。僕はプロデューサーで、運営は誰かにやってもらわなきゃ」。自前のリンクを建てて、小さい子を教える専門家、スピンを教える専門家などを集め、トレーニング設備もそろえる。

少し大それたことを言ったかと思ったのか、突然、恥ずかしそうにムキになって付け加えた。「でも実現するかわかんないし、僕のちょっとした願望、夢だから」

日本で初めての試みだ。完成までひと山もふた山もあるはず。しかし、それこそ、高橋の夢の実現にふさわしい道のりかもしれない。

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