ベートーベンの8番は大学4年のとき、春の定期演奏会で決まった曲だったんだけど、
試験の日程と重なっていて出演できず、悔しい思いをした曲だった。
で、意外にもその後なかなか演奏する機会に恵まれず、10年以上の時間を経て(笑)、
約6年ほどお世話になったオケで演奏する最後のコンサートで演奏する曲となった。
今思うと、学生の時、悔しい思いをしながらも、例の3楽章のトリオを試しに吹いてみたりしていたのだけど、全く吹ききれる気がしなかった。
学生だったし、あの当時もし演奏することが出来ていたら、練習を重ねてなんとか本番に持ち込んだのかもしれない。
けれど、あの頃は、この後半の旋律をどうやって伸びやかな音で吹き続けられるのか、全く想像することができなかったし、多分そんな風に演奏することは出来なかっただろうと思うし、
何よりベートーベンのシンフォニーをどんな風に演奏したいか、なんてことまで思いを馳せることが出来なかったんじゃないかなと思う。
私はホルンの神様の存在を信じているので(笑)、向き合ってみなさいと、神様がそう思ったときにだけ演奏する機会が与えられていると思っている(笑)
だから、きっと学生だったあの頃は、まだ早い ってことだったんだろうなと。
で、たった10年余りのホルン暦で、ドボルザークの8番とべト7と、チャイ1だけを3回もやるハメになっているのにもきっと意味がおありになるのだろうと思っている(笑)
ただの気まぐれだったりするかもしれないが。
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今回の練習が始まったばかりの頃も、練習期間も短い、果たして本番までに最後まで吹ききれるほどに調整していけるのかと、不安だったし、初めての合奏でsuv.piano!!!という指揮者の指示に、
「厳しい・・・。」と2ndホルンの後輩と顔を向き合わせて途方に暮れて失笑し(笑)、
一体どんなsuv.pianoをプロは演奏しているのかと、いろいろな音源を聴きあさってみたものの、
「うん、これだ!!」と心ときめくクラリネットとの協演には出会えず、なんて難しいんだろう。と途方にくれた。
演奏面とは別にいろいろなことが重なって、練習に行くのが本当に辛いと思う日もあったのだけれど、それでもホルンパートの不思議な癒し系に支えられて(笑)練習に行けば笑顔になれた、そんな本番までの日々。
ベト8にももっと時間を裂いて欲しいのになぁ・・・と思っても演奏会全体で10曲という盛りだくさんなプログラム、3楽章が扱われずに終わってもやもやっとしたままわる日もあった。
で、昨日の本番、決して最高の出来!だったわけではないのだけれど(笑)、
10年前の私では吹けなかった音で演奏することが出来たんじゃないかと思う。
降り番がなくて、GP,リハでリラックス!って思っていてもやっぱり疲労はなかったとはいえないし、緊張もあったし、だけど、これまでの練習と感覚を信じて嘘をつかずに吹ききる、っていうのは、去年の田園のときはまだ疑わしくて、第九は練習不足で地蔵の心だったし、
今年6月のブラ2でどうだろう・・・出来るようになってきたのかな、ってちょっとだけ思えるようになって、3度目の正直というのか、ようやく、その一端を自分のものに出来てきたのかな、と思えるに至ったような気がする。
演奏会後の、団長さんの「曲に向き合った分だけ返ってきますから」という言葉は、
ずっとそう思ってきことだけれど、音として発せられた言葉によってより一層心に沁みたのでした。
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休憩時間に舞台袖で鍛冶屋の小道具(昨日は鍛冶屋のポルカを演奏した)でまるで子供がの如く遊んでいる姿に知らぬ間にアフレコつけられて失笑され、
パートリーダーには「50年近く生きてきて、こんなに予測不能な奴は今まで居ませんでした。」と言われ、
「こんにゃく体操をしていようがしていまいが、変な奴ですよこいつは」
と指揮者に再三断言され、
それでも退団の挨拶をしに行ったときの
「まだ何も教えとらん」 という言葉がズシっとただひたすらに重かった。
弦楽器の人にも
「こんなにみんなに愛されてるのにまだ足りないなんてブラックホールですか」
と言われ、本当に私は多分、音楽のことも、みんなの愛も(笑)
何ひとつわかっていないんだろうな・・・・って思ったし、ホルンの神様、
今回の鉄子の決断に何をお思いになるかわからなくて、正直ちょっとだけ怖いんだけど、
「またいつでも戻っておいで」という温かい言葉に支えられて、
何とかこれからのいろいろなこと、それからいつかそそげる愛の日(笑)のために、
鉄子の修行は続きます。