2012/11/10

芸術の秋

ちょっとばかり久しぶり。
自宅でほとんどPCをあけることがなくなってしまい、更新が少ない2012年もあと残すところ2ヶ月切りましたね(笑)



秋から冬にかけては感傷的な気分になる時もあるけど、悪くないと思う今日この頃。
なぜなら今一度幸せだなぁって想いに帰ってくることが出来るからです。


今日の記事は長いです。12年分の積年の思いが(笑)


本番終わると昇華して消えてしまいそうなので、その前にこれまでのこととか、

今の気持ちを書き留めておこうかなと。
前にも書いたことと重複してると思うけど。


来週土曜日、11/17にブラームスのホルントリオ全楽章を演奏します。

 繰り返し、ありです(笑)


多分鉄子がこの曲を全楽章演奏できるのは、このホルン人生で最初で最後でしょう。



全楽章やると30分ほどになるので、アマチュアの私にはこういう機会ってもうないと思うのです。

というか、たった1回だとしてもあるなんて、恵まれすぎてます。


気負わずリラックスして吹きたいところですが、

まぁ、そうは問屋がおろさないであろうということもあらかじめ認めておこう(笑)


なんていったってブラームスですから。

でもって、最近調子イマイチですから(笑)。ドキドキ・・・・


だけど、気持ちはかわらないので、書いておこう。



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ブラームスが書いてくれた唯一ホルンが登場する室内楽。


ホルン始めてまもなくブラームスの交響曲(特に2番)にのめり込んだにもかかわらず、

私がこの曲の存在を知ったのは意外と後になってからのこと。

大学を卒業する間際だった。

 (しかもそれからしばらくホルンは吹けなくなるというのに)


卒業演奏会で、シューマンのアダージョとアレグロをボロボロに緊張しながら吹いたんだけど、
その後に、Trpの大先輩が


「ブラームスのホルントリオを吹くところを聞いてみたかったなぁ・・・」



とポツリと言って、Trp 棚から譜面を取り出してみせてくれたのだった。

  (しかも彼はTrp なのになぜその譜面を・・・w)



ピアノと・・・・ ヴァイオリン? 
当時の私にはそれがどういう音楽になるのかまったく想像できなかった。


やはりどうしても気になり、無事大学を卒業し羽田空港からそのまま銀座のヤマハに直行して譜面を買って以来なので、この楽譜は12年モノである(笑)



以来、いつか演奏してみたいとずっと思い続け、もうかれこれ何年前になるか思い出せないけれど、1楽章だけ、その当時入っていたオーケストラの団内演奏会で演奏したことがあるのです。



その当時は当時で念願かなっての機会だったので、相当はりきって練習もしていたと思うのだけど、まだ20代のお子ちゃまで、調子を崩すとかそういう経験もないままイケイケな吹き方をしていた鉄子ちゃん(笑)、



今その当時の演奏をもう一度聞いてみると、

高音なんかは全く迷いがなくて、ちょっぴりうらやましい・・・(笑)


・・・・・じゃなくて、その演奏は何というか、音は並んでいるが稚拙である。。。


  (当時お付き合いいただいたお姉さま方に大変申し訳ない・・・)



演奏会後、当の私自身も演奏を聞いてみて、想像していたのといろいろ違う、、、
なんでだろう。。。
と、当時の私はよくわからなかったのであった。


このトリオは、もう大丈夫、なんて一生言える気がしないし、
10年後の私は来週の録音を聞いて笑うかもしれないけれど(笑)、
20代だったあの頃よりは一歩進んだ表現ができることを願う。


何せこの曲はとにかくピアノが激ムズで、その後もこれを全楽章弾けそうな人にはなかなか出会えなかった。

(前回やったときも、お姉さまに2,4楽章をインテンポで弾くのは不可能・・・といわれ諦めた)




いや、正確に言うと、弾けそうな人はゼロだったわけではないんだけど、


ブラームスのトリオを是非一緒にやってください!


・・・という風には思えなかったのだった。


だから譜面をいくら抱いていても全楽章できるのは夢のまた夢なんだろうか。。。
と枕を濡らして・・・


・・・・はいないけれども、一緒に演奏したい! と心からそう思える人と一緒に出来たら

本当に最高だな、と、年を重ねること数年。


三十路に突入し、別人の唇をつけられたかのような事件もあって
 (いや、間違いなく私の唇だが(笑))、



その後しばらくアンサンブルは吹ける気がしなかったし、ましてブラームスのトリオはもう
チャンスはないのかな、と思っていたのだけれども、



(とかいいつつ、今回一緒に演奏するバイオリンの方には3年前のティル以来、
毎年年賀状で 「いつかトリオやりたいです」 と年初からしつこいご挨拶を重ねていたw)



去年勇気を出して後輩を誘い演奏したライネッケのトリオ(・・・はまぁ、本番撃沈したのだが(苦笑))で付き合ってくれた後輩のピアノに本当にただならぬものを感じて、


彼のピアノでブラームスができたら・・・ 



と、撃沈した演奏会後、すかさずその後輩にお願いして今に至るのである(笑)。




三人集まって演奏してみたのはちょうど1年くらい前だったと記憶している。



でもその当時、まだ私自身は本番のアテとか期待はしていなくて、

トリオが出来た(しかも初回から全楽章!)だけで嬉しくて、オケの誰かに言うつもりなんて毛頭なかったのに、12月の第九の後に速攻かけて聴きに行ったコンサートの後、オケの後輩達が口をそろえて


「ブラームスのトリオやるんですってね」 



と言うではないか。




えっ??え?? と戸惑っていたら、



バイオリンのお姉さまもピアノの彼も何の抵抗もなく(?)周りに


「ブラームスのホルントリオをやってね」


という話をしていたらしく、


何のことはない、心の準備が出来ていないのは鉄子だけだったというオチである。




だけど、アナタ、その後しばらく特に本番の予定もたたないまま、
ずいぶんじっくりと寝かされてましたね(笑)



具体的に話が動き出したのは5、6月くらいくらいだったかな。


素晴らしいくじ運の持ち主が抽選で見事会場を抑えてくれてからだ。

さていよいよ練習やりますか、という頃、バイオリンのお姉さまが腱鞘炎になってしまったのでまた暫く練習は見合わせることに。



7月くらいに上京してきたS師匠に見ていただいたときはピアノと2人で、



でも、先生が、本当に幸せそうだったのが印象的だった。



先生はずっとこの曲は特別なんだと話していたけれど、本当にそうなんだなと思った。

昔から私の弟子ならブラームスのトリオやらなきゃ、とも言っていたし、
本番が出来ることを本当に喜んでくれた。


そして、帰りの電車の中、ピアノの後輩について、


「彼のピアノはすばらしいねぇ。あんなふうに弾けるなんて、

相当楽器を弾きこんでないと出来ないよ。」と言った後に、


「え?20代なの???・・・え?まだ学生??」 と驚きまくっていたのも印象的だ(笑)



そのくらい何と言うか、不思議なのである。



堂々お子ちゃま演奏していた頃の私とそれほど年は変わらないはずなんだが、

これは一体どういうことだろうか・・・(比較するのが失礼なのかもしれない・・・・笑)



そんなこんなでトリオの練習はしばらくできないまま、9月怒涛のオケ本番が終わり、

本腰いれて練習時間を確保したいと思うのに仕事が山ばかり、自分の思うようには
ならないまま5年ぶりのホルンキャンプに突入。

とはいえ、S先生の特別なはからいでキャンプ中A先生にトリオのご指導を受けることができ、
演奏会がぐっと楽しみになったのが10月頭。


けれどもキャンプ後1週間マトモにふけず、「劇的に」調子を崩し(笑)、最悪の調子でバイオリンのT先生によるレッスンがあったりと、何だかとってもハラハラした10月。



こりゃまずいなと先週ebakos寺に駆け込み、先生に教えて頂いたウォームアップのおかげか、本番までに悪い癖は治らなくても、解して臨むという点の不安は払拭されて光が見えてきたかも・・・


先生はやっぱり神かも・・・・


というのが本日の状況でございます。
 (せめてこのレベルで当日臨みたいと願う(笑))


本当にたくさんの人達の出会いだとか、支えのおかげで、
演奏会を楽しみにしている私があるし、これからもそうだろうなぁ・・・とあらためて思うわけです。


トリオについては本を読んでもあまり記述がなくて、実際あまり当時の記録が残っていないみたいだけれども、色々調べていたらお母さんと一緒に歌った(あるいはブラームスがホルンで演奏して聴かせてあげていた)民謡(フォークソング)がモチーフになっているとも言われる、なんて記述がみつかった。


その2曲はなんだかほんわかする曲で、心がほっとするような音楽だった。

 (歌詞の内容は結構激しい恋の歌(笑))

お母さんの追悼曲として取り上げられることが多いし、ブラームスの生き方は本当にお母さんの影響がものすごく大きかったようだから、本当に悲しくて、祈る気持ちだったに違いない。


でもこの記述を見つけたときに、それだけじゃなくて、お母さんとの楽しかった幸せの日々のこと、感謝の気持ちもいっぱい込められている曲なんだと知ることができて良かった。



今回のコンサートは鉄子の母が聴きに来てくれる(ついでに妹×2も聴きに来る(笑))

ホルントリオが出来ると決まったその日から一番聴かせてあげたかったのは母である。


誰にとっても母親っていうのは特別な存在だと思うけれど、それは私にとっても全くその通りで、母が居なければ、私が今こうして鉄太郎と一緒に音楽を続けていることはできなかったし、
誰より私の音楽好きを一番喜んでくれて、支えてくれていたのは母だと思うからである。

本番の出来はともかくとして(笑)、この日が迎えられること、
母と、いろいろな人達の「おかげ様で」に感謝して、心を込めて演奏したいと思います。


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