簡単には忘れられないだろうなと思った事が次々新しい出来事で上書きされていった2011年。
3月のブラ4、
その翌週の大震災。
4月の屋久島、
輪番操業が始まり、
7月のライネッケ、
8月に神奈川県の両脚を制覇し、
9月の田園、
10月に美しい瀬戸内海の景色に心打たれ、
そしてタイの洪水、
11月はじめてのパリ出張、
12月に引っ越しして、第九、
そして私には珍しく阿呆のように忘年会に出まくり、絶賛チビデブ中の鉄子です。
去年の今頃、何を思っていたか忘れたけれど、来年は今年以上にいろんな変化がありそうな気がしている。
でも以前のように頑なではなく、そういう変化を受け止めながら、自分がどんな風に変われるか、私みたいな人間が、一体どんな風に周りに作用し得るんだろうかと、おこがましいかもしれないけれど、そんな風な事を考える一年になるんじゃないかと思っている。
私は宇宙全体の一部みたいに、さりげなく、そっと、でもちゃんと生きてる、
みたいな感じが一番いいじゃないかって思ってきたのに、全然そっとなんか生きてなくて、
すごく人間臭い中で一番を争うくらい人間臭い自分が時に本当に面倒で、手に負えない感じで翻弄されまくって、もう何なのよ、私って…って悩んで(ホントよ!)、
人間臭さから目を背けたくなったときに、動物とか植物とかの嘘偽りのないひたむきな生に惹かれて、学ぶつもりでもちろん出かけてくのに、何故かそうするとちょっと元気がもらえて、
人間てやつも結構面白いのよね、ってなんか妙にどっぷり浸かっちゃって
ぬか漬けみたいな気分を味わっちゃった挙句、
ぬか漬けは美味しいよね、って思ったり、やっぱり臭いって思ったり、本当に忙しい一年だった。
ハシビロコウみたいになりたいって思って動物園にも頻繁に出掛けてたんだけど、彼らも見ていると、全然そっとなんか生きてなくて、嬉しそうだったり悲しそうだったり、瞳の奥深くに、たまにしか行かない鉄子にはわからないよ、みたいな気持ちが見え隠れしているような気がしたり。
だけど彼らが魅力的に見えるのは、「らしく」生きればいいじゃん。だってそれしかできないしって、自分に嘘偽りなく正直に生きてるからかなぁって思ったりもした。
何か知らないけどたまに爆弾みたいにバカみたいなエネルギーを放出して灰になってしまうのも鉄子の悩みのひとつですが。
そっと生きる、なんて心の何処で思ってんのよと疑われても仕方がないくらい、正反対の自分。
自分のことでありながら、この力の出処は一体?意味不明。
理解できないまま、それでも坂を転がり落ちるように走るのを止められず、止まったときには坂の上を振り返る余力はないどころか、次の坂の事で頭がいっぱい。
前しか見てない。
後ろの事を見てくれる人が居ないと不安。
願わくばそろそろこのバカエネルギーの矛先を有意義に、もうちょっと賢く出力調整したい2012年。
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自分の中にある人間っぽい感情をどうしたらコントロールできるんだろうかと、
そういうのをどこか外に置いて冷静に人と関われる方がいいんじゃないかと真剣に考えていた。
自分の心の中にあること、本心となると途端にうまく話せなくなってもどかしい。
書きだすこともままならない。
感情や情景もそうだし、言葉にするには曖昧でもやもやしたものたちの大きさと、温度と色味みたいなものを音楽で埋められたらいいって思っていた。
それはこれからも多分変わらないけれど、音楽って一人じゃできない、音で全てを伝えるには私はあまり未熟で、時間が足りない。
だから、やっぱり言葉で伝える努力も必要だなと感じている。
音楽だけじゃなく、仕事にしても家族にしても、なんとなく察知して欲しいと思うことは多々あるけれど、言葉にして初めて伝わる心もある。
言葉の力を信じよう。
だって私は未熟な人間だから。
そして宇宙にもう一度帰る頃、もう少しそっと生きれるようになっていたらいい(笑)